最近読んだ『「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』(著:クリスティーン・ポラス)は、
タイトルに惹かれて手に取った一冊でした。
家事や育児、日々のバタバタの中で、ちょっとした言い合いになったり、空気が重くなったり…。
「どうしてこんなことでイライラしてしまうんだろう」と感じていたタイミングでもあり、
本の中のこの一文が、まっすぐ胸に刺さりました。
「礼儀とは、相手を尊重するという意思表示であり、自分を守る行動でもある」
家族にこそ「礼儀」が必要?
職場では、上司や同僚に気を遣って言葉を選ぶのに、
家の中ではどうしてこんなにも甘えが出てしまうんだろう…。
この本を読んで、ふとそんなことを考えました。
一番身近な家族だからこそ、
- 「やってくれて当たり前」
- 「言わなくてもわかるでしょ」
そんな気持ちが、無意識に出てしまうことがあります。
でも実際には、言葉にしないと伝わらないし、
ちょっとした口調や態度の違いで、家庭の空気がピリついてしまうことも。
私自身、疲れていた日に夫の一言にカチンときてしまったり、
こちらの何気ない言葉で、夫を傷つけてしまったりした経験があります。
「親しき仲にも礼儀あり」――
昔からあることわざの意味を、ようやく体感として理解できた気がしました。
丁寧な言葉は、自分のためでもある
だからこそ、せめて自分から丁寧に接してみようと思いました。
この本を読んでから、私は意識して
- 「おはよう」
- 「ありがとう」
- 「ごめんね」
- 「助かったよ」
など、できるだけ言葉にして伝えるようにしています。
ほんの些細なこと――洗い物ひとつ、子どもを見てくれたことなど――にも、
「やって当然」ではなく「ありがとう」を添えるようになりました。
正直、最初は少し面倒に感じたのも本音です。
でも、自分の言葉遣いが丁寧になると、私自身が落ち着いて、
イライラする場面が減ったように感じました。
夫の言葉や表情にもやわらかさが見えるようになり、
お互いに気持ちよく過ごせる時間が、少しずつ増えてきました。
子どもにも「上から目線」ではなく、家族として接したい
子どもに対しても、つい「親」として上に立ってしまいがちですが、この本を読んでからは、
できるだけ**“一緒に暮らす家族の一員として、敬意を持って接する”**ことを意識しています。
親だからといって常に正しいわけではないし、「ありがとう」や「ごめんね」は、
大人が先に示すべきものだと感じるようになりました。
職場に例えるなら、親は上司ではなく“チームの一員”。
子どもと対話しながら関係を築いていく。
そんな意識で日々を過ごしています。
気を遣うのではなく、心地よさをつくる
「礼儀正しさ」と聞くと、なんとなく堅苦しくて、
“気を遣って疲れるもの”というイメージを持っていました。
でも今は、むしろ逆だと感じています。
礼儀ある行動は、自分自身が心地よくいられるための手段。
誰かと過ごす空間を、安心できるものにするための“自分への優しさ”でもあるのだと思います。
最後に
「礼儀正しさ」は、自分を押し殺すことではなく、 お互いに気持ちよく過ごすための知恵。
家庭は、社会よりももっと濃くて、繊細な人間関係の場。
だからこそ、礼節ある行動が一番大切なのかもしれません。
これからも、身近な人たちとの関係の中で、
丁寧な言葉と心遣いを大切にしていきたいと思います。
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